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第二次 第11回「箱根会議」 の報告 


Plaza2誌<プラザプラザ>2002年1月号 掲載より

  ”「箱根会議は」日本社会を変革する力になるのか?”

 



◆ いったい、日本はどこへ行くの?

「国際交流ってなあに?」「何のためにするの?」と素朴な質問が大半の中で始まった第一次
「箱根会議」も、バブルが弾け人々が冷静になるとともに、自分達の周りには日本に在住する外国人が増え、日常の衣食住の中に海外で生産された物が溢れていることを改めて認識してきた。

はるか遠くの南の国で起きた山火事が、海流やその温度に大きな影響を与え、海産物の生産に影響することを知り、一国の経済も環境問題も地球社会全体が共生時代に入っていることをはっきりと認識させられてきた。インドネシアで生産された原材料がシンガポールで加工され、日本に入ってきたり、生鮮野菜やシジミなどの海産物が毎日、中国から日本に入ってくるように、政治も産業もすべてが「ボーダーレス」化し、国々や人々の相互依存が深まり、ほとんどの問題が国際的な枠組みの中でしか解決できなくなってきたことに私達は気づくとともに、「国際」という言葉も日常生活のすべてが国際化していく中で徐々に風化し、死語化していった。

20世紀の半ば、敗戦ですべてを失い、必死で働いた50年。世界第2位の経済力をつけた日本も、この50年間、敗戦で失ったものを取り返そうと、目に見えるものだけを追いかけてきた。そしてバブル崩壊後に冷静になり周りを見回すと、戦後の50年にワーッと経済や技術等"モノ"で先進諸国に追いついた日本が色々と穴だらけなのに気づいてきた。日本やアジアが持つ古来からの良き伝統や歴史に背を向け、西欧的近代化と発展を追求してきた中で豊かな精神文化を色々と置き去りにしてきたことに気づいてきたのだ。

お金とモノだけを追う社会、そして本音と建前の乖離。子供は小・中・高と大人になるにつれて、「建前と世の中の仕組みは別」と見せつけられる。そして学校で学ぶことと世の中の色々なもののギャップが大きく、大人への不信感をつのらせていく。物質的に苦労して育った親は子供に苦労をさせないことが愛情と誤解する。

本来、親の役目は子に苦労に耐えられる力をつけて社会に送り出すことである。しかし現在、家庭には強い意志を持った父親がいなくなって、家庭や地域という共同体もなく、子供には生きていく知恵やたくましさがなくなって、頭でっかちになってきている。子供は今、与えられる知識と自分の心が出会い交流して知恵を育てる場がないままに成長するという不幸な状況にあると言える。

1999年末に文部科学省が日、韓、米、英、独の5か国で小5と中2を対象に行った調査結果では、「いじめを注意したことがまったくない」「ウソをつかないように父親に言われたことがない」「友だちと仲良くしなさいと親に言われたことがない」の項目でそれぞれ41%、71%、81%と日本の子供がだんとつで1位を占めた(2位はそれぞれ28%、42%、36%)。置き去りにしてきた精神文化の衰退は「どこかヘンだよ日本の子供」と言われるほどにポカッと大きな穴を開けてきたのだ。

共有する価値観を見失い、かつ経済的低迷の中で21世紀を迎えた日本。2001年9月11日に起きた米国の同時多発テロ事件の1か月後の10月26日〜28日に、4年ぶりに「箱根会議」は第二次会議の幕を開けた。


◆ 第二次「箱根会議」は"カタリスト"を 目指し、"東京"+"御殿場"で開催された

第二次「箱根会議」の第1回会議は2001年10月26日(金)の午後に第1部を東京・渋谷区の「国立オリンピック記念総合センター」で開催し、そして第2部をその日の夜から10月28日(日)の正午まで、各地で実際に交流活動をしている人々を中心に、2泊3日の合宿形式で静岡県御殿場市の「国立中央青年の家」で、総務省、外務省、文部科学省そして国際交流基金の後援のもとに開催した。

第二次「箱根会議」全体の標語は"第一次"の第10回会議で辿り着いた"人を啓き、社会を開き、未来を拓く"であり、今回の第1回会議のテーマは"民(たみ)の英知"であった。

第一次「箱根会議」は理念の整理と情報交換そしてネットワーク作りが中心であったが、第二次会議は実際により良き社会変革につながる"行動"を標榜し、そのために皆で考え合い「民(たみ)の英知」を結集し合い、少しでもより良い社会作りのために協働しようというものだった。

テーマの煮詰めに時間がかかり、募集期間が約1ヵ月間と短かったために、また10月というイベント月だったためにスケジュールが合わない人も多く、東京会議には80名、御殿場会議の合宿会議には35名という参加者数であったが、北は北海道オホーツク海に面した紋別郡から、そして南は鹿児島から各地のリーダーが集まり、また全国各地から多数のエールが送られてきた。

会議当日、参加者に配付されたプログラムには、実行委員一同からのメッセージとして次のように書かれている。

21世紀を迎えた本年、「箱根会議」は第二次の会議の幕を開けることとしました。わが国は今、「新しい日本」に向けて様々な面での問題を抱え変革を模索しています。それゆえに混迷の度合いも深く、価値観の立て直しが求められています。高度成長、物質的繁栄、そしてその代償のような精神のよりどころの喪失、社会秩序の劣化……。日本人のしっかりした背骨はどこに行ってしまったのでしょうか。私たちは今こそ良い伝統を想い起こし、新しい人間像を求めて一人ひとりの英知を合わせて行こうではありませんか。

去る9月11日、アメリカは同時多発無差別テロに襲われ多くの人命が前触れもなく失われる、という悲しみに打ちひしがれました。そしてその報復がもし行われれば、再び何の罪もない人々の命がまた多く失われることになるでしょう。平和、このかけがえのない貴重な資産を次の世代へ伝えるために国を超えた人々の共生を、そしてそのための協働を様々な教育活動の実践を通して訴えたいと思います。われわれはそのために集い、研鑚し合い、人を啓き、社会を開き、未来を拓くための触媒者(カタリスト)の役割を自覚し、その使命を果たしたいと願っています。

また、第二次「箱根会議」の代表であり、日本NPO学会会長の林 雄二郎氏のメッセージを当日大阪で開催された学会出席のため、実行委員の三谷誠一氏が代読し、次のように述べた。

未来を拓くためのカタリストの役割を自覚し、その使命を果たしたい」と謳って第二次「箱根会議」が開かれることになりました。私はこのテーマに心から賛同する一人ですが、この場合に大切なのは、自らも変わってゆくのだということを忘れないことです。戦前から戦中を85年生きてきた私の心の中に今も生き続けている思いは、かつての日本が自分だけは変わらずに、周囲の国の人々だけを変えようとしてきたことが、いかに大きな禍根を残したかということです。その過ちに今でも気づいていない人がたくさんいます。「箱根会議」に集まる人たちに望みます。私たちは自分自らも含めてカタリストとしての使命を果たしてゆこうではありませんか。

微量だが、その存在により、周りの化学反応を促進させる物質を"触媒"という。体の中でタンパク質合成に際して触媒作用をする"酵素"などがその例である。周りの人に刺激や活力を与え、より良く変化させる人を英語では"カタリスト"(CATALYST, 触媒役) と呼称する。望ましい教育者もカタリストである。

私達一人ひとりがカタリストとしての自覚を持ち、社会に貢献しようというのが趣旨である。
林氏の注釈ではカタリストは仏教用語では"共生(ぐうしょう)"といい、その意味は"異なるものがぶつかり合い、そのぶつかり合いが互いを触発して、そして新しい文化を生み出す"、これがカタリストの役割と言う。

◆ すぐれた先人達、民度の高かった日本人の歴史

第1部の「東京会議」は、外交評論家でサウジアラビアやタイの日本大使を務めた岡崎久彦氏の問題提起「時代の変革期」から始まった。要旨は以下の通りであった。

日本の民主化は1945年に占領米軍により軍政で始まったと言われるが、そんなことはない。大正デモクラシーという言葉があるように当時の民主政治と今のそれとはそんなに変わっていない。またこの大正デモクラシーのもとは明治維新にある。板垣退助は日本の自由民権運動を指導し、当時ロシアやイギリスに狙われていた日本を守るには身分差を捨て民主主義を行うことだとして、この運動を通し、議会制民主主義を確立した。日本の民度は当時から高かった。今の日本の民主主義は、明治の、もっと遡れば徳川時代の日本の知の水準の高さ、明治の先人達が物事を深く抜本的に考えたお陰と私は思う。


◆ 民(CSO)の活動が民主的社会を作る、官は「行法」に徹すべき

岡崎氏の問題提起に続き、討論会「人を啓き、社会を開き、未来を拓く」―民の英知とカタリストの役目―が始まった。

討論会は「カタリスト」という言葉を、「箱根会議」実行委員の一人である伊藤憲宏氏(国際貢献塾/元国際交流基金)が解説して始まった。「高い志を持って、重要な変化を起こす人」と定義し、国際集会などで使われていること、そして今回の会議参加者は皆、カタリストであることなどを同氏は強調した。それを受けて、司会の青柳潤一氏(ジャーナリスト)がパネリストを紹介し、討論会が開始された。

討論者の秋尾晃正氏(日本民際交流センター)は北海道で始めた留学生との交流活動が、米国への日本語教師の派遣やタイの子供たちへの教育費援助などの教育交流に発展していった経緯を述べ、公益団体の活動が民主的社会において重要な役割を持つことを指摘した。

1980年代に急激に増えた国際交流団体は、国際援助を行うNGOなどの活気と対照的に、かつての勢いがなくなってきている。しかし「日本の蘇生」を考える時、これは憂慮される。日本の将来を考えると、CSO(CIVIL SOCIETY ORGANIZATIONS) 活動を活発化させなくてはならない、と述べた。

森茂氏(拓殖大学)は、第1回「箱根会議」が始まった1988年に、文部省(当時)が制度化した高校生の交換留学の制度作りに最初から関わり、それ以来、国際教育交流にたずさわってきたことなどを話し、少子化で自己中心的になり、過保護・過干渉で自立心が乏しい現在の若者に、「可愛い子の旅」「他人のメシ」を経験させることが重要だと話した。そして、日本の若者の教育のため何が必要か、現在は大変に重要な時期にあると述べた。

李基愛氏(恵泉女学園大学)は、韓国から留学した時、韓国人と日本人がお互いを知らないことに気づき、日韓学生会議を始めて16年、その後「りんごの木の会」によるホームスティ交流を10年以上続けてきた。最近は、人との交流だけでなく、自然との交流に強い関心を持つようになった。1965年頃に始まった自然破壊は今や深刻である。次世代に私達は何が残せるのか。対話と交流を通じ、他者から学ぶのと同じように、自然からも学ばなくてはならない、と述べた。

最後に和田純氏(神田外語大学)は、前職の国際交流基金で文化交流と知的交流を推進する仕事を担当し、日米センターの創設に関わり、そこから官と民の関係に強い関心を持つようになったという。わが国の国際交流の歴史は、20世紀の最後の4分の1しかないと和田氏は説明する。2001年になって「国際化」というかけ声はほとんど消えてしまった。現在の世界では内政と外交は直結している。政治のあり方を変えるため、民の側からの国益についての議論が必要になる。これまでは官が何が公益であるかを決めてきたが、これを変え、官と民との関係を変えていかなければならない。CSOを強くし、官との上下関係でなく水平な関係での「協治」(GOVERNANCE)を求める。官は行政ではなく、政治が決めたこと(法)を実行する「行法」に徹すべきだと思う。人材は民にあり、官任せではいけない。民が担い手になり、みんなでより良い社会作りをすることが、これからますます必要になってくると述べた。

これらの発表を受け、会場の参加者からも意見が出された。地域活性化という視点や、国際化とグローバリゼーションの問題点が指摘された。また、「人格的感化力」を与えるカタリストの必要性が論議された。

「東京会議」終了後、各団体から展示されている資料を見たり、質疑する人々が見られた。また第2部の「御殿場会議」は参加する人々は東京会場前に横付けされた貸切バスに乗り、御殿場会場に向かった。


◆ 同じ釜の飯を食べ本音で話し合う

「御殿場会議」が本格的に始まるのは翌日10月27日(土)の朝9時からである。26日(金)の前夜に集合するのは、会議の前にくつろいで本音で話し合える下地作りのためだ。ちょうどスポーツの前のウォームアップ体操に似ていて、必須のものである。

忙しい日本人。会議に費やせるのは週末にかけて、せいぜい2泊3日間 。しかし初対面同士が実りある本音の話し合いができる関係になるまでに、2、3日はかかる。ではどうしたらよいか。これが第一次「箱根会議」を立ち上げる時にも問題になった。

「会議の前夜に集まろう。そうだ温泉がいい。一緒に風呂に入る裸のつき合い、そして同じ釜の飯を食べ、できるだけ『おい、お前』の関係になる。そうすれば翌朝から本音のやりとりができる。そうだそうしよう。」いかにも日本人的である。それが「箱根」で会議することになった理由の一つである。

このウォームアップの効果は大きい。夜8時頃「国立中央青年の家」に着いた私達は、簡単なオリエンテーションの後に貸切にしておいた大きなログハウスに早速移動。すでに先発隊によって用意されているビールやジュースそしてスナックを口にしながら、小グループに分かれ車座になって自己紹介。最初少々堅かった場も、ビールを飲みメートルが上がるにつれ、どんどん打ち解けていく。「俺はこう思うんだけど…」「それはちょっと違うと思うわ」もう既に会議が始まっているみたいだ。遅くても夜12時には閉会としていたが盛り上がり、ほとんどの人達がログハウスを出たのは、夜中の1時頃だった。

翌朝9時にはまず、開会の挨拶から始まった。進行役は事務局担当の筆者。「御殿場会議は、東京会議のように広く一般の人々が参加する会議ではないので、みんなで話し合う、考え合う場である。そしてこれから仲間としてみんなで協働する場である。話を聞いて受動的に学ぶという場ではなく、皆が知恵を与え合い、研鑚し合う場なので了解してほしい。」と言い、実行委員を代表して三谷誠一氏(元三菱銀行国際財団)と秋尾晃正氏が挨拶をした 。

三谷氏は次のように述べた。

第二次「箱根会議」は、「実行」ということがテーマになっているということを再確認したい。その実行のテーマは何かということで、3年間にわたって何度も委員会を開いてきた。まさに侃侃諤諤(カンカンガクガク)の議論をしてきたが、なかなか纏まらない。歴史認識の問題一つとっても切り口が異なれば変わってくる。

そういう中で箱根会議の合意というものが、「共生(ぐうしょう)」がカタリストの目指すものということであり、長く教育現場での経験を持つ森氏に意見発表をしてもらうことになった。国際交流となっているが国内の交流でも当てはまることである。教育ということを社会教育、生涯教育の面からも検討し,第一次会議のメンバーに新しい人の参加を得て教育という視点で、次の世代を担う青年のために今日、明日の議論を進めていってもらいたい。

秋尾氏は言う。

今回のアメリカのテロ事件について皆さんとまず黙祷を行いたい。(…しばらく黙祷…)遠い国の出来事のようでいて、今回の事件は私たちにとって身近なことであった。私達の活動にも色々な面で影響が出た。また同時に私達の心の中に何かを作り、地球の人々に何かを作った。

過去、「箱根会議」は様々な人が集まり意見の相違を乗り越えて色々と社会に影響を与えてきた。意見の相違があるということは素晴らしいことである。「行法」の方も、企業の方も、市民活動をしている人も入り、民の英知を出し合い、日本だけでなく、次回以降アジアの人ももっと参加し、素晴らしい地球を次世代に必ず残していきたい。そういう役目を、私達が果たせたらうれしい。

アジアの人には、人間と人間の関係は多様性のある関係となっている。志を高く掲げ、アジアの人と英知を結びつけながら、次の第3回『箱根会議』は平和構築へ向けて貢献できるのではないか。そんな夢を描きながら第二次『箱根会議』を始めたい。

最初のセッションは小澤大二氏(法政大学/元国際協力推進協会)の司会により秋尾晃正、伊藤憲宏、樋口容視子(国際基督教大学)の3氏による問題提起がされた。



◆ 今は「地球・地域・市民」の時代CSOを通して社会を動かすことが可能

まず、「民(たみ)の英知」というテーマで秋尾晃正氏が問題提起をした。

近代から現代までは「世界・国家・国民」の枠組みの時代だった。国家を運営する有能な官僚が必要だったし、同時に国家目的に添う従順な国民が必要だった。冷戦終了後は「地球・地域・市民」という枠組みへとパラダイムシフトの時代に突入した。グローバル・スタンダートが進み、金融の自由化、インターネットの発達、情報の世界化、地球環境の課題など、地球規模で人々は考えざるを得ない時代になった。国家や官僚の影響力の低下とともにCSO (CIVIL SOCIETY ORGANIZATION)の重要性が問われ始めた。

第一次「箱根会議」がテーマとした「魅力ある豊かな社会の形成」にCSOの役割は欠かせない時代に突入したとも言える。社会のあり方が、「行政」でなく、司法、立法と同様に「行法」になり、CSOとともに、統治するのではなく、協治する時代が望まれるようになった。世界の政治にもNGOが関与し始め、まして地球環境、平和構築等においてはCSOの役割は年々増大している。特にインターネットで形成されるFUNCTIONAL COMMUNITYも大きな役目を果たし始めている。

国家とは税によって公益活動をする。CSOは自発的に寄付された「財」で公益活動をする。税金と寄付は同じ性格のものであり、一方は「取られる」概念であり、他方は「自発的行為」である。したがって、募金に頼るCSO側は自発的行為を促進するために、効率性、公開性に基づき切磋琢磨しなければ自発的行為の賛同を得られない。従って、財の有効性が向上する。CSO活動に参加する、またはCSOを財政的に支援することが政治に参加することになる。既に議会制民主主義の基本である代議員に委ねた「まつりごと」の制度だけでは社会が機能しなくなってきている。

民(たみ)は官と民と対比した場合の民ではない。民(たみ)とは社会を構成するすべての人を指す。まつりごと(政治)を行法にただ委ねる、託す、依存するのではなく、民がCSOを通して協治する。民(たみ)が英知を絞り、CSOを通して参画する。それが「魅力ある豊かな社会の」形成になる。そこに日本の蘇生の展望があり、希望が見出せる。


◆「活性化」と「浄化」の両義性を担うカタリスト

次に「国際交流とカタリストの意義」というテーマで伊藤憲宏氏が問題提起をした。

カタリストとは「高い理念のもとで人々の意識や社会に対して重要な変化を誘発することができる人」の意である。カタリスト(CATALYST)とはもともとは化学用語で「触媒」という意味ではあるが、この言葉は国際交流や国際協力をしている世界の人々の、今や共通語となっている。

「第二次箱根会議」の基調コンセプトの一つである「カタリスト」は、まだ日本では馴染みのない言葉ではある。しかし、「変革」が世界における共通の潮流の中で、日本も様々な分野で閉塞感があり制度疲労・精神の衰退と、かなり危機的な状況にあり、多くの心ある人達が「変革」を考えている。しかし、いったいどのような変革が望ましく、またその変革の担い手のあり方が混沌(カオス)といった状況の中で、この変革の担い手たるカタリストを始源的に考えることは、今後の日本にとってもまた世界にとっても重要な人類共通の課題であると考える。

カタリストの存在原理を比喩的に表現すれば、それは血液中の赤血球にあるヘモグロビンという酵素のようなものと考える。肺から酸素を受け取り体内に供給し身体を活性化させ、同時に不要になった一酸化炭素を受け止めそれを排出し、体内を浄化させていく。こうして身体の維持・再生・蘇生を図る役目がカタリストにも同様にある。


◆ 国際社会であまりにも見劣りする日本人の スピーチと国際コミュニケーション能力

最後に「青少年の国際コミュニケーション能力の育成」というテーマで樋口容視子氏が問題提起をした。

これから活躍する若者は、外国語ができるというだけではなく、日本語での的確なコミュニケーション能力が必要である。特に、発信能力が大切である。

日本では、青少年が公の場で発言する機会が少なく、意識的なスピーチの訓練の場を与えられることがほとんどない。コミュニケーションにとって大切な、内容、表現方法、視的効果の相乗作用を、母語である日本語でどう行えばいいのかという実践的な研究があまりされていない。
アメリカでは、パブリックスピーキングは、ほとんどの高校や大学で必修科目になっている。そこでは、体系的にスピーチの理論と実践を学ぶ。テーマの選び方から始まって、説得力のある構成方法、リサーチの仕方、聞き手の興味の引き方、効果的なデリバリー(伝達)方法などを学ぶ。導入、本題、結論といった基本のロジックの立て方は、論文を書く時にも、ニュース番組を作成する時にも使われる。

その出発点にあるのは、アメリカの小学一年生が、ふだんから教室で行うお話の発表"SHOW & TELL"だろう。自分の大事な物などをクラスの皆の前で見せながら話す。これは、プレゼンテーションの基本であり、回を重ねるごとに度胸がつき、うまくなっていく。この方法は日本の大学生にも使えるので、私のクラスでも取り入れている。スピーチの訓練の導入として実際にやってみると、学生は、人前で話すことの楽しさ、人の話を聞くことの面白さに目覚める。

しかし、やがて、英語と日本語では、話や論理の立て方、発表の仕方が違うことに気がつく。文化を共有する人同士では分かり合えることでも、客観化して、他文化の人々に伝えようとする時にうまくいかなかったり、しっくりこないことが多い。さらに、いくら論理や構成がしっかりしていても、最終的に大事なのは、内容であることにも気づく。良い内容にするためには、問題への関心の持ち方、取り組み方、深め方、さらには、 それぞれの生き方までもが関係してくる。

国際社会であまりにも見劣りする日本人の発信能力を高めるためには、ふだんから自分の言葉で、自分の考えを語るという自己表現力と自信の養成が基礎となる。家庭、教育の場で、VERBAL,VOCAL,VISUALの3つのVを総合的に高め、堂々とした若者が育っていってほしい。


◆「表会議」と「裏会議」、「箱根会議」のノウハウ


以上、3人の問題提起の後、休憩を挟んで、前日の「東京会議」も含め、「これまでの問題提起と議論を振り返って」と題して、三谷誠一氏、李基愛氏の二人の共同司会のもとに全員で討論した。

ちなみに、「箱根会議」では、セッション間の休憩時間をできるだけ30分以上とることにしている。また、前夜のような自由懇談時間を多く設け、これを「裏会議」と呼称している。プログラムに明示された「表会議」と同様にこの「裏会議」は重要であり、最も自由な意見交換、情報交換が行われる時間である。この「表」と「裏」の両会議で「箱根会議」が構成されていること、そして会議の席ははできるだけ「ロの字」型にして、参加者全員が顔を見ながら話し合えること、そして前夜のウォームアップ、そして参加者全員が遠くからでも名前が分かる大きな名札を首からぶら下げていること等、会議を成功させるノウハウをいっぱい持っているのも「箱根会議」のよく知られている特色と言える。

話は全体会に戻る。全員が自由に意見交換をした。「グローバリズムの進展に伴い、(巨大資本に支配されるという恐れから)反グローバリズムや民族(宗教)意識の高揚」「異文化を体験することにより;自分自身や自国に目覚め学ぶこと」「家庭や地域が崩壊して何でも学校に任せすぎている問題」「日本の伝統では、西欧の『個人→家庭』という単位ではなく、『地域/ムラ』という概念がもともとの基本」「"教える"と"育てる"は異なる。日本は儒教的な背景を失っていないという自覚が必要」「西欧的近代化とは別の発展の仕方が日本やアジアにはあるのではないか」「日米台韓での調査で、日本の子供の夢が一番小さく薄かった。教育を含めてもう一度考え直すべき」「"今の若者"を創ったのは大人たちの文化や社会だ。若者の話をじっくりと聞いてあげよう。プラス思考でほめてあげよう」等々色々な意見が出て活発な議論が交わされた。

◆ 皆で協働でできることは?―分科会に分かれて、さらに突っ込んだ話し合いが

昼食後、分科会に分かれて、各テーマのもとにさらに突っ込んだ話し合いが行われた。Aセッションはそれぞれ1時半から3時半まで、Bセッションは4時から6時まで行われた。AもBいずれもそれぞれ4つずつの分科会があったが、参加人数の関係もあり、いずれもそれぞれ2つずつ統合した形で実施された。

"A-1は「国際交流団体の役割」と「国際コミュニケーション能力の育成」。座長役は、秋尾晃正氏と樋口容視子氏。スピーカー(問題提起者)は、前者が毛受敏浩氏(日本国際交流センター)、後者が川口善行氏(東北公益文科大学)であった。

秋尾氏の司会で、まず毛受氏が、わが国の国際交流の歴史と現状を簡単にまとめることから始まった。現在の国際交流は地域社会での居住外国人との共生に貢献しているばかりでなく、南北問題の理解や国際協力に役立ち、グローバルなネットワーク作りに発展し、国家間・異文化間の信頼醸成に貢献していると述べた。この国際社会に信頼される新しい日本社会創りに大きな貢献をしている国際交流活動も、その担い手である交流団体の大半はボランティア団体のままで力も弱く、ネットワーク化もしていないし、データも乏しいとの指摘がされた。

続いて樋口氏に司会が代わり、川口氏が日本人の国際コミュニケーションについて問題提起をした。"沈黙は金"という文化が残る日本。日本人は個人的会話は別として、大勢の人の前で話すとなると苦手な人が多い。ましてや外国人を相手にした異文化間におけるコミュニケーション能力となると、残念ながら評価は非常に低い。もともと人前で話すのが苦手な上に、外国人相手に英語で話すとなると、語学力の問題に加えて、日本人同士とは異なる論理と表現力が求められる。今後は、特に若者を対象として、まず日本語での話し方訓練(パブリック・スピーキング)、そして英語での表現能力の訓練の必要性について話し合いがされた。

ここで筆者の近著「中学英語で通訳ができる」(ジャパン・タイムズ社)が引合に出され、これをもとに教材や指導マニュアル作りをしたらどうか、また在日外国人向けの日本語教材作りはどうか、との提案も出された。「箱根会議」の資産であるネットワークや多様性を活かした独自のアクションプランを作ろうという提案が、座長の一人、秋尾氏から出された。

国際協力の分野では既にネットワークができているが、国際交流の分野ではできていないとの発言に対して、交流団体が連合する必要は何かというテーマで全員が話し合った。今、日本の社会に何があり、何が欠けているか、そして何をすべきかについて皆でさらに全体的に見直す必要があるとの話し合いになり、座長の樋口氏もこれを受け、必要な場合は全国調査をして結果を分析し、提言にまとめることも今後考慮すべきと述べた。今は全員がばらばらに行っている活動も、大きな目標に向かって皆で協働できるはずで、そのための情報交換の場として「箱根会議」は重要である、という一致した意見であった。

"A-2"は「高校生と国際理解教育」と「環境と青少年の意識」。座長は林隆保氏(国際青年交流委員会)と李基愛氏、スピーカーは前者が武笠和夫氏(教育評論家)で、後者が崎田裕子氏(環境カウンセラー)であった。

2002年度から小・中学校に、そして2003年度から高校に新しく設置される科目に「総合的学習」がある。学校側の自由裁量でこの時間は自由に使っていいことになっている。「理科」とか「社会」とか分野を限定せずに、「環境」「ボランティア」「福祉」「国際理解」「国際コミュニケーション」等の分野でテーマを見つけ、広く様々な角度から総合的に物事を捉え、自ら考え、社会の中で自主的にたくましく生きる力を身につけさせようとする趣旨からである。高校生にとっては「国際理解教育」が中心の一つとなり、その中でも一番の課題は「環境問題」である。21世紀は環境の時代とさえ言われている。

各スピーカーからの問題提起の前に、李氏から次のように本セッションの趣旨が述べられた。

現在、環境問題が地球規模で大きな課題となっている。際限ない人間の物欲は地球の自浄能力を超えた環境汚染をもたらし、今自然界はとても苦しんでいる。こんなにひどい自然環境にしてしまったことを、私達はそれを引継ぐ子供たちに謝らなくてはならない。そして少しでも改善するように何ができるのか、何から始めるべきか、皆で話し合ってみよう。

武笠氏は、来年度から始まる「総合的学習」の概要を述べ、学校現場では何をしたらいいか戸惑っている実情を報告した。そして文部科学省は今、教養教育を「一人ひとりが主体的に生きる資質と能力」と位置づけていると述べ、「知と感性の融合」の大切さを述べ、加えて技能教育の必要性と異文化理解教育の重要性を述べた。

また、高校教員を務めた体験から、高校生は目的意識を持つことによりどんどん変わり成長することを述べた。そして教員が知識を単に与えるだけの"語り部"になっている問題点を述べ、学校と地域の垣根を取り除かなければならないと述べた。

崎田氏は、環境問題の専門家として現在の課題を述べた。要旨は次の通りである。

現在、皮膚感覚で自然を感じることができなくなってきている。こうした危惧から教育に環境分野を取り入れていこうとしているが、どう取り組んだらいいか悩んでいる教員が多い。環境問題が叫ばれているのは、ここ20年間のことで、ようやく現在、環境教育が体系だってきた。しかし地球はもう自己再生能力がなくなってきていることを認識したい。従って知識のための環境教育でなく、どう具体的に改善への行動を進めればいいのかを考え、協働したい。

そして持続可能な社会作りをしていきたい。例えば物の心を大切にし、大切にして長く使うなども大切だと思う。便利さの進展も過度にならずに、例えば30年位前に戻った便利さでもいいのではないか。

崎田氏は、アジアの国々の子供達の視野の広さにびっくりした体験を述べ、日本の子供たちの話題の乏しさ、視野の狭さについての危具を述べた。「今、求められているのは自分が動けば、絶対変わるはずだということです。」その信念で行動することだと氏は述べた。
参加者の一人、福井から参加した高木文堂氏(米国弁護士、元外務省)は、住民運動によりエネルギー基地作りが白紙になった例をあげ、環境保全と国際交流活動を結び付けていきたいと語った。

また山形から参加した山口吉彦氏(アマゾン博物館)はアマゾンの先住民の生活観を紹介し、「小さい時から自然の素晴らしさを体感させ、自然に親しむよう習慣づけなければならない。土は汚いものではない。」と述べた。

東京でグラフィックデザイナーをしている唐木田敏彦氏は感性教育の大切さを述べ、「行政に感性が乏しいのではないか」と危惧を述べた。そして「住んでいる東京の多摩ニュータウンの航空写真を見て悲しくなる。これが美しい街作りかと思う。開発した公団の感性の欠如としか思えない。」と語った。「親が感動すれば子供も感動する。親がゆとりを持たなくてはいけない。」「身の周りが良くならなければ地球は良くならない。」「自然を感じる心を持つことが大切」等々活発な意見交換が行われ、日常のできることから行動していこうと話し合った。

"B-1"は「カタリストの意識とネットワーク」「国際交流とインターネット」。座長は船戸潔氏(東京・中野区役所)と黒沢香氏(千葉大学)。スピーカーは、前者が伊藤憲宏氏、後者を樋口容視子氏が務めた。

船戸氏の司会のもとに、伊藤氏が再びカタリストの役割について述べ、日本人の歴史の中で古代からカタリストの役目を担っていた人々がいたことを色々な例をあげて説明した。そしてこういう日本の文化や歴史をまずよく知ることが国際交流をする人達にとって大切であると述べた。

黒沢氏は、インターネットの普及で、私達の生活に大きな変化が始まっていると述べた。国際交流に関して考えれば、インターネットはボーダーレスの世界を意味し、必然的に「国際」交流の意味も変わってくる。インターネットは個人的なメディアなので「個人対個人のつき合い」のレベルでの活動が大きく促進され、多様で大量の情報の交換が可能になり、今までできなかった多様な活動が可能になるだろう。この「道具」をいかに活用するか、を含めて活発な議論をしたい。

樋口氏はこれを受け、次のように述べた。

インターネットは、コミュニケーションに革命を起こした。Eメール、ホームページ、メーリングリスト、メールマガジンなどを使いこなせば、手間やお金をかけずに、短い時間で広範囲に情報が流通する。同時に、暖かな人とのつながりや情報のつながりを大切にする交流活動で、デジタルに振り回されないよう上手に活用していく知恵が必要だ。

参加者からも色々な意見が出された。「ポータブルカメラで現場の映像を撮り、それを自動で送れる便利さがある」「とにかく時間と手間が節約できる」「今後のインターネットの活用は今の想像をはるかに超えたものになっているのではないか。例えば、10年後の教育界はインターネットで激変しているのでは。」などの活発な議論が行われた。

"B-2"は「日本の教育にビッグバンは来るのか」と「技術革新と心の教育」。座長は、林隆保氏と李基愛氏が務めた。スピーカーは前者が山田勝氏(ICS国際文化教育センター)、後者を和田重良氏(くだかけ生活舎)が務めた。
山田氏と和田氏の話は対照的であった。まず、山田氏。

日本が、そして世界がどのような方向に向かっているのか、その世界ではどのような人が求められているのか、を戦略的に捉えることなく、教育の未来はデザインできないのではないか。アメリカもイギリスも教育は大きな輸出商品となっている。今、米国フロリダ州の短大連合が通信衛星を使って、アフリカのケニアに教育輸出をしている。

金融ビッグバンでは、日本国内の狭い世界観に侵された日本の金融は、世界の奔流に否応なしに呑み込まれていく。教育界も同じである。例えば三井銀行と住友銀行の合併など誰も想像しなかった。これは、例えば慶応大学と早稲田大学が合併するようなことであるが、教育界でも似たようなことが起こるかもしれない。あるいは、いずれかが米国の大学の日本キャンパスになったとしても不思議ではない時代になってきた。

英国では、ブレア首相が英国の通産省の中に教育輸出部を作ったし、オーストリアやニュージーランドにも同様のものがある。アメリカのワシントン・ポスト社は、大学を30校も買収した。アメリカには年間50万人もの外国人留学生が来るので、教育は大きな国際ビジネスの一つである。フランスから英国にも年間約500万人もの学生が英語を習いに行く。日本では、教育は輸出商品とはまだ考えていないが、その構成や内容を世界基準に合わせたり、海外の学生が入学しやすいサービスを考え、教え方も工夫するということが大切になっていくだろう。

林隆保氏は、高校交換留学制度を例にあげて、米国の戦略的な考え方を紹介した。

教育安全保障の考え方がある。高校生の交換留学制度は、戦後まもなく米国によって創られた。海外から毎年2万人以上の高校生が米国に1学年間留学し、ボランティアのアメリカ人家族の一員となり無償で滞在し、地元の高校に授業料もスクールバスも免除で通学している。日本の文部科学省も1988年度よりこれを制度化している。米国は毎年、多数の海外留学生を自国の米国人家庭に1学年間受け入れることにより、親米家を育て、その国に戻すという教育安全保障の考え方からである。アメリカはソ連崩壊後、予算化して、ほどなくロシアから学生や教員を多数受け入れている。この戦略的考え方も大切だ。

一方、和田氏は、箱根の山の中で登校拒否の児童8人と一緒に生活して教育を行っている体験から、「心の教育」の大切さを説く。効率や速さを求めて「こころ」を置き忘れてはいけない。自立した、しっかりとした自分自身を持って生きていくことが大切だ、と和田氏は言う。

都会から来た新入生は、電気が切れているのを見て、「先生、電気が切れているよ」と知らせるが、自分で直そうとはしない。まるで「ゴミが落ちてるよ」とただ報告するのと同じ。ところが半年近くいる子供達は、好奇心旺盛になり、何でも自分でやろうとするようになる。山の中に不法投棄されている壊れた自転車を集め、修理して立派に乗れるようにしたりする。先日、便器が詰まり、つついてもだめだったが、「便器をはずしてみよう」と誰かが言い、はずしてみた。「へえ、おもしろい。こんな風に水が溜まっているんだ。」と目を輝かせいていた。皆半年もすると生き生きとしてくる。

和田氏の話の中で、皆の共感を呼んだのは、「有能感」という氏の造語であった。

人は誰でも、能力を持っている。「有能感」とは、ああ自分にはこんな能力があるのだな、と自分が生きている意味を自分で発見することです。この「気づき」があった時に、誰でも大きく変わります。

教育の手段や道具などのデジタル面は、これからもどんどん進むに違いない。それに対して「心」や「精神」のアナログ面が負けないように、ますますしっかりと鍛えられていかなければ、「心の疎外」現象が起こる。結局のところ、どんなに技術面(デジタル面)が発達しても、それを使うのは人の心(アナログ面)である。このアナログとデジタルの両面のバランスをとり、人の心が上位にあり続けるならば、問題は起こらないはずである。

分科会後の休憩後は、恒例の「交流パーティー」となった。そして2次会は前夜のように貸切のログハウスで、またまた裏会議、また解散は深夜となった。

「青年の家」では朝7時から中央広場で宿泊した人達の朝礼とラジオ体操がある。連日ログハウスで深夜までそして朝早くからの集合というのは正直辛い。しかし大きな富士山を正面に見ながらの体操は気持ちよい。

最終日、10月28日(日)の会議は午前9時から正午まで全体会として行った。前半の司会は川口氏で、各分科会の概要をそれぞれの座長から発表してもらった。
後半は筆者と李氏の共同司会のもとに、「カタリストの役割、青少年の育成―具体的にどう行動展開するか」のテーマで皆で話し合った。

まずはこれまでの東京・御殿場両会議の中から、各自が大切だと思うことをそれぞれ1分以内に限定しランダムに言ってもらい、黒板にどんどん書いていき、それを関連したもの同士をKJ法的に括ってみた。以下がその主な内容である。

●「箱根会議」が"市民運動"としてしようとしていること、訴えることを、バラバラな理念でなく大きな方向でまとめ、一般市民に分かる言葉でまとめること、そして人間は90%感情の動物なので感性に訴えることが大切だ。感性に「感動」があるが、理性に「理動」なしだ。

●単なる観念的な国際交流に終わらせてはいけない。世界にも自分の地域にも課題は色々ある。交流を通して、地球社会をグローカル(GLOCAL)な複眼で見て、考え、一人ひとりが開かれた視点を持ち、地域や地球的課題への実質的貢献ができるものでなくてはならない。

●青少年がもっと「国際コミュニケーション能力」を身につけるよう協働しよう。「国際理解教育」もその背景として重要である。「日本の文化や伝統」をよく知り理解することも大切だ。これらの背景を深く持ち、自身の考えをしっかり述べ話し合いができるようにしたい。まずは"SHOW & TELL"から始めたら良い。

●まず私達自身が「カタリスト」として努力し、若者に"人格的感化力"を与えられるようにしよう。若者は大人の背を見て育つ。まず若者が我々を見て、この国の「未来に夢と希望」を持ち、その若者を見て私達も未来に夢と希望を持つ。そんな「背骨のある国」にしたい。

●プラス思考で、青少年一人ひとりの「個人」の能力を引き出す手伝いをしよう。そして一人ひとりが自分自身の中に「有能感」を感じるようにしよう。

●現在、家庭教育が崩壊し、地域性が崩壊し、学校が崩壊している。家庭・地域・学校の協働によりこれを何とかしようではないか。「プラス思考」で「若者」を見て、一緒に協働する道を考えたい。地域を変えるのはいつも「ヨソ者」「若者」「バカ者」の三者だ。

●「箱根会議」に集まる各地のリーダー達は、"個"のレベルでカタリストとして完成に近い。しかし地域にどういう風を吹き込むかはこれからだ。またCSOの担い手として"必要な基本知識"や"議論の仕方"、"事務局のまとめ方"、"各種の申請書の書き方などの技術指導"等も必要。

●国際交流にも色々な分野と課題がある。これらを整理し"文献リスト"を作ったり、"語い"等も整理したらどうか。また各専門家のリスト"WHO'S WHO"を作り、"総合的学習"の講師選定の参考としたら良い。

●実行委員の地方の人達も多く加わりインターネットで会議したら良い。具体的なアクションプランも含め「ホームページ」も立上げ活発に行動したい。まず、WEB委員会を立ち上げたい。("協力する"と数人が手を上げた。)

●月刊雑誌「PlazaPlaza」は読者に多くの若者や外国人を抱えているので、こうした多国籍軍団の力を活用できるよう協力したい。

その他に「在住外国人へのサポート体制作り」「日本を知るテキスト作成」「自治体への提案書作り」「イスラム文化も含めた色々な価値観についてのメニューやテキスト作り」「スポンサー集め」「異文化理解のための劇の台本作り」等々様々な提案が出され、自分はこれだったら協力できる、私はこれをしたい等の申し出も多く出された。

「『箱根会議』は皆が社会をより良くしようと、互いに考え、研鑚し合い協働する市民運動である」と筆者が最初に述べた趣旨の花が一斉に開いたような熱意に溢れた3日間の会議の締め括りにふさわしい話し合いとなった。

前夜の交流パーティーである人が言った。「初めての参加でためらったけど、来て本当に良かった。自分の視点がこの2日間で変わり、目の前がパッと開けたようだ。」うれしい言葉だった。何よりも、そして誰よりも「箱根会議」自体が大きな"カタリスト"なのだ。そしてそれを作っているのが大きな"人の和"であることをしみじみと感じた夜だった。

閉会は三谷氏、そして秋尾氏の挨拶で行われた。

三谷氏は言う。

今回の会議の成果を行動に結びつけ、楽しみとして来年の会議につなげたい。今の社会は様々な問題を抱え、この会議もその世相を反映しているが、それは夜明け前の暗さであり、これから明るくなると考えたい。会議の中で出された新しい言葉の「行法」や「有能感」などの説得力ある言葉を大事にしていこう。

秋尾氏は言う。

今回の第二次「箱根会議」の開催準備には事務局が中心となり進めてきたが正直言って難産だった。色々な困難もあった。しかし開催して皆さんの熱望を感じることができ、また展望も開けてきた。そして希望も見えてきた。皆すばらしい日本を創っていく仲間である。一緒にがんばろう。

〈付記〉
第二次「箱根会議」の第1回会議は終了した。三谷氏、秋尾氏が結んだように、「社会をより良くするための協働」という大きな命題を背負った第二次会議の開幕は難産だった。しかし皆の英知を集めることがすばらしい展望を開くということもよく実感できた。今の混乱はテロばかりでなくイスラム文化と西欧キリスト文化の対立の様相まで見せている。

しかし、もともとギリシャ文明がイスラム文明に影響を与え、そのイスラム文明が西欧に大きな影響を与えて西欧文明の花を開かせたというように大きな輪として繋がっている。中国→朝鮮半島→日本も然りである。イタリア料理に欠かせないトマトもスパゲッティも、もともとイタリアにはなかった。前者はブラジルから、後者は中国から伝わった。韓国料理に欠かせない唐辛子も日本から伝わった。

私達が属する「資本主義社会」は利子が利子を生み自己増殖する。一方イスラム社会では利子の概念そのものを否定し、預金にも利子はつかない。ヘッジファンドのように、利が利を求めて世界中を徘徊し、時には経済力の弱い国に大きなダメージを与えうる(世界の国々のGDPの合計30兆ドルに対し、流通しているのは300兆ドルという)。

かつての共産主義の考え方のようにイスラムの考え方は、資本主義がより人間的で健全なものになるため必要な対立概念と言える。「文化の多様性」は、人類の共有財産である。交流により、異なる価値観や方法論や求めるものの違いを分かり合い、互いのあり方を尊重することの大切さを今、あらためて感じる。

日本にも大きく4つの伝統がある。神道的、仏教的、儒教的そして近代になっての西欧的なものがあり、それらが重層的に重なり合っている混成文化である。私達はこの混成した私達自身をもっと学び、その母体であるアジア文明・文化にもっと学ぶ必要があるだろう。その中で、この50数年の物質文明の発展の中で置き去りにしてきた精神文明の"もう一つの近代化"を真剣に考える時にあるようだ。そして明治維新、第二次世界大戦後に続く「第三の開国」。

これまで多様性を否定し、「同じもの」を求めてきた日本。長所を伸ばすより、欠点をなくそうという教育だった日本。「"違い"の豊かさ」「欠点より長所を重視」というように、考え方も180度方向転換する必要がありそうだ。「個人」に焦点がもっと当たっていくだろう。科学技術の発展もインターネットもすべての方向は、個人を主体にと動いている。そして科学技術はあらゆる想像を超えるスピードで進化し、遺伝子を組み換え、臓器の生産やクローン作りをし始めた。人は原子レベルの操作に入り、もう既に「神の領域」に入っていると言われる。

日本の第三の開国、その成否の鍵は私達一人ひとりの「先見性のある、開かれた心」にあるのだろう。

(注)本稿の作成に際しては、各セッションの記録をとってくれた、秋尾晃正氏、伊藤憲宏氏、加藤耕氏、川崎恭資氏、黒沢香氏、林隆保氏、樋口容視子氏、船戸潔氏、三谷誠一氏、武笠和夫氏の各氏にお世話になり、完成したものである。誌面を借りて、厚く御礼申し上げたい。



◆ 問い合わせ先 ◆
「箱根会議」事務局
〒107-0052 東京都港区赤坂6-6-16 赤坂黒田ハイツ501
カテナ文際交流センター内
TEL:03(5545)1245 FAX:03(3583)5971



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