=======================2004/05/30(土) 【バナナメール#133】 これで最後のお別れ?ネパール 目次: 【引越しのあと】 【日本生活オリエンテーション】 【日本的?仕事】 【家との対話】 【そしてネパールへ】 【リゾートするセイン】 【ネパール奨学金計画】 【ビーズ村訪問】 ============================= また、長らくご無沙汰です! 連休中に引越しをし、移送中にPCのハードディスクが全壊してしまいました! しかも、新しい場所での高速ネット通信の体制が整わず、まともに通じるようになったのは、ネパールへの出発の前夜。これも運命かと、しばらく「ネット休眠」を決め込んでおりました(何でも運命のせいにするのがネパール風?)。 【引越しのあと】 その代わり、ひたすら体を動かして家の整理をし、未来の快適生活をめざしました。 8割がた達成、かな? これは、珍しいことです。ネット不調に感謝。 引越しは一日で出来るけれど、後片付けは、下手すると「一生モン」だからね。最初に気合い入れて一気にやってしまうのがおすすめ。 引越し2日目に「片付けと掃除を楽しむ引越しランチパーティー」をしました。これは名目で、実は、4人のネパール人留学生に、引越し手伝いのアルバイト代をあげるのが主な目的。 うちの息子たち、フィアンセ、弟、友人なども集まり、にぎやかに楽しく掃除やら料理やらの一日でした。 【日本生活オリエンテーション】 日本に来てまもないネパールの若者たち。戸惑うこともいろいろあり、この「イベント」は、日本生活オリエンテーションもかねています。電車を乗り継ぎ、地図を読んで見知らぬ場所までたどり着くことから始まって、日本の家の掃除の仕方、お風呂の入り方、料理の仕方、キッチンの使い方などを体で覚えてもらいました。 思わぬ失敗もありました。引越し後不要になったダンボールをつぶしたり、まとめたりの軽い仕事のあと、ベランダでじゅうたんを洗ってもらったら、洗剤をやたらかけてしまい、ゆすいでもゆすいでも泡が取れない。翌日から雨になり、乾くまで3日もかかりました。 気になる庭の雑草も抜いてもらったのですが、細かいところは見逃して、ああ、雑草でないのが抜かれていた! 後の祭り。しかも、翌日、前触れもなく草むしり専門の植木屋さんチームが来ました。 「きのうしたばかりなんだけれど」と戸惑う私にお構いなく、「契約ですから」と、タッタと仕事にかかり、みごとにきれ〜にしあげてくれました。やっぱり専門家はちがうわ。 【日本的?仕事】 ネパール人学生たち、「アルバイトが見つからない」と悩んでいたけれど、日本語の習得もさることながら、基本トレーニングが必要かも。日本人の仕事は徹底的だ、ということにあらためて気づきました。でも、みんな素直に言うことを聞くので、気長に教育すれば、使えるようになると思いますよ。ちょっとしたアルバイトさせてあげたいという方は、ぜひご連絡ください。 ともかく、引越し記念に、仕事の質とは関係なく、ネパール人学生には日当と交通費をあげて、あとは楽しくみんなで遊びました。 シュレジ君が歌を歌い、その上手なことにみんなうなりました。今度バナナパーティーに来てもらいますね。それとも、日本で「歌手デビュー」させる? お父さんは、作詞家で歌手だそうです。彼は、お父さんの歌を歌ったのです。ちょっと悲しい恋の歌でした。 【家との対話】 連休が終ると私はひとりになり、最初はこわごわ、そして徐々に家に慣れていきました。家と仲良くなるために、しっかり向き合って「対話」しました。そして、ほんとにこの家が大好きになりました。私も家に好かれているといいのですが。 私のなが〜い転居の歴史の中で、国内・海外でさまざまな家とつきあってきましたが、家にはいつも「人格」があるように思え、私は、どんな家も住めば「愛して」しまうという変なクセがあります。 今月は、長男の結婚式もあり、家族・親戚が集まり、家はとてもにぎやかでした。たくさんの人にお泊りしてもらえて、たぶん、家もよろこんでくれたと思います。ハウス・ウォーミング・パーティーを連日やっていたようなものですから。 【そしてネパールへ】 一段落してから、私はネパールへ。先週の日曜日から今週の日曜日まで、1週間の滞在しました。この間に海外引越し荷物を作って、家を引き払うのが目的でした。それを何とかこなし、今、日本へ向かう途中です。バンコクの空港で乗り換えの待ち時間中にこれを書いています。 ネパールに私の家がある間の最後の滞在となりました。今までたくさんの人が、ネパールの家に泊まりにきてくれました。私がネパールに戻るたびに、誰かしらくっついてくるのですが、今回も最後のゲストが。 なんと、それは、デヴィド・セインです! 「行きたい!」と悲願をもらしたのが、出発の1週間前。超多忙の中、何とか仕事のメドをつけて航空券の手配をするも、満席という知らせ。あきらめかけたところで、いっしょに方策を考え、待って、押して、チケット抑えたのが、出発の3日前です。 【リゾートするセイン】 成田空港のチケットカウンターで待ち合わせた時の彼の格好は、肌寒い朝にもかかわらず半パンに半袖シャツ。荷物身軽に(ノートパソコンだけは持って)、体全体からうきうきと、「リゾートするぞ〜う」という喜びと気合を表現しておりました。そして、「力もちだから、引越しの手伝いするね」と、にこにこ。 1週間の滞在中、デヴィドは、すっかりネパールに溶け込み、のんびりと休暇を楽しみ、名残惜しそうに帰りました。私の生活に合わせて、あちこち連れ歩いただけですが、ネパール人の生活を垣間見、それを体験して楽しかったようです。 時には、ネパール人に案内をお願いしました。普通の人の知らない山里をバイクに乗せてもらってツーリングをして、感激。「もう10点満点だよ」と、子供の遠足帰りの満足笑顔でした。 私との遠出では、雨のナガルコットでヒマラヤの見えないミニ・トレッキングをしました(実は単なるお散歩)。里山の散策が実に気に入って、ほわーんと幸せそうでした。道端に茂るクワの実を見つけ、もいでは、子供のように黙々と食べてました。蜂蜜なめてるクマのプーさんそっくり! 【ネパール奨学金計画】 こころやさしいデヴィドは、ネパールの経済状態を見て、なんとかしてあげたいねえ、と何度ももらしていました。 町で、物乞いが寄ってくるだけで、もうパニック。「どうすればいいの、何かあげなきゃ、何をあげればいいの」と。 そして、子供の物売りがにこっと笑うと、「かわいいから、買ってあげたい!」といって、すぐおみやげを買い込むのですよ。 デヴィドは、アメリカ人というより、日本人。あるいは、日本人よりネパール人に近いのかも。しきりと、「また来たい」といっていました。 マンガラ先生の日本語学校も訪問し、熱心に勉強している学生たちにも心打たれたようです。 彼ともいろいろ話したけれど、やっぱり一番効果のある「投資」は教育投資でしょうか。勉強環境を整備して、勉強の機会を効果的に与えることでしょう。日本とのつながりを考えるなら、日本向けの奨学金みたいなものが手ごたえを感じられるかもしれません。 すでに来ている人たち、あるいはこれから来ようとしている人たちに、日本人として出来ることを無理なくする、一人ではなく、みんなでする、というようなことをいま、考えています。 【ビーズ村訪問】 おそらくデヴィドが感激したかもしれない、「村のビーズ作りの女性たち」の訪問が実現したのは、彼が去った後でした。 いったいどこに連れて行かれるのかわからないまま、ビーズ屋のおじさんが手配した車に乗せられ、冒険をしてきたのは、金曜日の午後。デヴィドは、その日の午前中にカトマンズを発ちました。 行き着いたのは、のどかな農村。谷間の緑がとてもきれいでした。 いけるところまで車で、途中から徒歩。次回は、ハイキングのつもりで歩いて行けばいいようなところです。 雨上がりの細い山道は、泥と溝穴でいっぱいでした。 とちゅう、何度も降りて車を押したりしながら、 車が溝にはまるか、道の外に転げ落ちるか、どっちが先におこるのかなあ、とぼんやり考えていました。 女性たちは日当たりのいいテラスに仲良く集まって、手を動かしていました。 各家で、リーダーを中心に、数人〜10人単位で仕事をもらっているとのこと。 ネパールの食事を入れる仕切りのついたお皿に、色分けしたビーズがいれてあって、 華やかな料理を作っているように見えました。 女性たちの衣服も色とりどりで、きれい。 時間があれば、おしゃべりしながらもっと一緒に座っていたいと思いました。 道々、ビーズ屋さんと話をして、分かったこと。 彼の家は代々、ファミリービジネスとして手広くビーズを手がけていて、 しかも、カトマンズで学校経営もしている! 兄弟、親戚で出資して、生徒数300名の中堅どころの私立校のオーナーだそうです。 だから、いつも私のビーズの「わがまま」に応じてくれていたのか、と納得がいきました。 NGOに対する理解と実行が早かったのです。 村の女性たちにも、とてもやさしかったです。 最後の最後まで、いろいろな出会いがありました。 出発の前日も、出来事ぎっしりでした。 これは、涙なしに語れないから、また次回ね。 ネパールを出たけど、たぶん一生ネパールとの縁は切れない、よしこ。 またいつかご一緒にネパールへ行きましょう。 ティーガーデンも待っています! 近いうちに日本でバナナパーティーをします。 差し上げるネパール紅茶、たっぷりご用意しました。 では、みなさまごきげんよう。」 よしこ
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