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【バナナメール#129】 希望の扉

目次:

【日本へ来る学生たち】  【日本語スピーチコンテスト】  【ネパールの未来】 【希望の扉】  【ラッキーと仲間たち】  【ネパールにさよなら】

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一週間ぶりに、こんにちわ。 ね、ちゃんと、約束守ったでしょう。定期発行!

桜は、きれいでしょうか? こちらでは、ラリグラスの花の季節です。 ネパール国花の真っ赤なしゃくなげ。

【日本へ来る学生たち】

マンガラ先生のところで日本語を勉強してきた生徒の中から、 大学生4人が、4月新学期から日本に語学留学します。

みんなそろって同じ学校へ願書を出し、入学金と授業料の振込みを済ませました。 日本大使館からちゃんとビザが下りるか、面接のときはドキドキでした! 幸い、全員無事パスし、まもなく日本へ向かいます。

東京でまた会いましょう、と楽しみにしています。 この4人のために日本でウエルカムパーティーをしたいと思っています。 でも、出発前に、カトマンズで、まず壮行会ですね。 つらいことがあるかもしれない日本での生活。 くじけないで、目的達成してこれますように! 

今まで何度かマンガラ先生に招かれて、授業に参加したり、一緒に遊んだりしてきたので、なんだか私の生徒みたいな気がしてます。

【日本語スピーチコンテスト】

3月21日、日本語弁論大会が,カトマンズ市内のブルースター・ホテルで開催されました。 今年で23回目だそうです。ネパールの日本語学校連盟が主催し、 日本大使館などが後援しています。

ネパールには、日本語を勉強している人が多くて、語学学校が結構あるのです。 ガイド志望の人や、独学で日本語を学んでいる人もいっぱい。

スピーチコンテストの出場資格は、

1. 日本に行ったことのない人 2. 学校を卒業して1年未満の人 3. 日本語の先生ではないこと

コンテストには、各日本語学校から、一人づつ、計15人が出場しました。 わがマンガラ先生のところからは、今度日本へ行くカルナさん(女子)が出場。 日本語を勉強して1年足らずなのに、よくがんばりました。

優勝したのは、「日本語を勉強したわけ」、について熱く語った大学生のシュレスタさん。 日本レストランで学資を稼ぐアルバイトをしながら、日本語を勉強してきました。

2位は、「日本とネパールの言葉」の共通点を話したスリジャナさん。 3位は、鍼灸師のダヤンさん。

特別賞は、カトマンズのアサン通りの古い文化についてとても楽しく語ってくれた人 (名前忘れました)。

日本語能力検定試験3級、4級レベルの人たちも、ほんとに立派にスピーチをしました。

ちなみに、1級(日本の大学受験レベルの日本語)は、さすがに少なく、ネパールでは毎年、一人合格者が出る程度。 とはいえ、一度も日本に行ったことがなくて習得するのですから、たいしたものです。

【ネパールの未来】

スピーチコンテストで入賞しなかったなかで、私の心にひっかかったスピーチがありました。

サンプールという青年の「ネパールのため若者の運動が必要」という題のスピーチです。 自分たちが何もしなければ何も始まらない、という呼びかけの内容でした。 「今」、「ここで」、「自分が」、しないで、他にどうするのだ、と。

実は、このネパールの閉塞状態の中では、若者には希望や未来が感じられないのです。 政治の不安定、経済発展の遅れのため、学校を出ても仕事がない。 こんななかで、あえて、「いますぐ、ここで」やれることをやろうと呼びかけるのは、 私には、とても切なく響きました。

何を? どうやって? それがわからないから、多くの人は苦しいのです。 あるいは、そうしたことから目をつぶって、 とりあえず現状のままのんびりと過ごす人が大半だからこそ、 この国はかろうじて無事でありつづけた。

このスピーチコンテストの参加者、そして、聴衆の多くは、 日本語を学び、日本や海外との接点を求めてきた人たちです。 ここにいる数百人は、いつかはネパールを出るきっかけがあるかもしれないと、 期待を持ちながら日本語を勉強しているのでしょう。

でも、運良く海外に出ることができるのは、この中のほんの一握り。 ほとんどの場合、それは夢に終わる。 留学するお金やコネがなくては、無理なことなのです。

日本語を学ぶ、と決めたとき、すでにそのひとの人生は変わり始めていると思います。 でも、それが果たして「幸せ」と結びつくのかは分かりません。 結局、夢は実らず挫折感が残るかもしれない。茨の道かもしれない。 知らなかったほうがいいこともあるかもしれない。

でも、ひとつ行動を起こすことで、少なくともひとつの扉は開く。 果たして開けてよかった扉かどうか確信はもてないけれど。

また、海外で勉強した人は、いずれはネパールに戻ってネパールのために何かをするべきなのでしょうが、海外にとどまり、ネパールにもどらないほうを選ぶ人も多い。

戻らざるを得なかった人は、海外とネパールとのギャップに、ときには気が狂うほど苦しみます。ネパールを愛し、ふるさとを大事に思いながら、ネパールに再び同化できない不幸な帰国人となるケースもあるのです。

【希望の扉】

ネパールの人が、日本、あるいは外国と接点を持つときには、きっと、 たくさんの開けてみたい希望の扉が見えているのでしょう。 私もすでに何人かのために、扉を開けて見せてしまったかもしれない。

ネパール人と親しくなるということは、結局は、そういうことなのです。 たくさんの期待に満ちたまなざしをどう受け止め、それにどんな力を注ぐことが出来るのか。そして、その結果にはたしてどこまで責任がもてるのか。

私のネパール生活の中での楽しいことと悩みは、表裏一体となって、 いつもこの問題にからんでいたように思います。

結局、ほんの限られた人だけが、チャンスをつかむことが出来る。 そして、変わることが出来る。 でも、なぜこの人であって、あの人ではないのか?  些細な、運みたいなものが明暗を分けている。 人生はほんとに、フェアーじゃない。

私自身は、安全で手軽に取り組める手助けは、いろいろしてきましたが、 人の一生にかかわることには、慎重でありたいと思います。 自分が出来ることと、できないこと、 していいことと、いけないこと、 それらをきちんと整理しておかなくてはならない。 一番つらい選択は、出来るのに、あえてしないこと。

簡単そうに見えて踏み出しても、川の真ん中で立ち往生してしまうかもしれない。 短期計画であっても、それが及ぼす影響は長期に及ぶ覚悟がいる。

もし、神様のOKが出て、流れを作って下さったら、 私は、それをほんの少しの力で押しだす係りでしかない。 ただし、タイミングをきちんと抑えないと、力尽きる。 そのためには、常日ごろから準備して、とっさのチャンスを逃さない訓練が、 押されるほうにも、押すほうにも必要なのでしょう。 気長に待つ、ということもそのひとつでしょうか。

【ラッキーと仲間たち】

ご縁があって、私の犬になった「隠し子ラッキー」は、生後5ヶ月経ち、もう子犬ではありません。でも、私の顔を見ると、うれしくて、いまでも必ずおしっこちびります。

預け先には、すでに2匹の成犬がいて、ラッキーは、犬からも人間からも、とてもかわいがられていました。

ところが、最近この家にふらっと別の子犬が迷い込んで来たのです。 こころやさしい家の人たちは、この犬も飼うことにしました! 最初は、親戚の家にあげようと言っていたのに。

新しい子犬は、全身こげ茶色で、細い尻尾があり、お猿さんみたい。 名前は、マックスとつけられました。やはりオス犬です。 ラッキーは、マックスをとてもかわいがります。 1ヶ月前まで自分がされたように、そっと噛んだり、じゃれてあげたり。 すっかり、お兄さん犬になりました。

犬たちは、家族の一員として、ごく普通にそこにいて、のんびりとしあわせそうです。 時々、外にふらっと勝手に出かけ、またちゃんと帰ってきます。 ラッキーも、私が帰るとき見送りについてきますが、 途中でさっときびすを返して戻ります。テリトリーがあるみたいです。

実は、この家には、もう一頭大きな犬がいて、 長いこと「家出」をしていたのですが、最近帰ってきました。 なんでも、近所の「ガールフレンド」にあこがれて、別の場所で寝泊りするようになったとか。 食事も、そちらでもらっていたそうです。 でも、体調を崩したらしくて、自分から古巣に戻ってきました。

まるでフーテンの寅さんです。 ちょうど、ふられたあとの寅さんみたいに、 あごを地につけて、とろんとした目で憂いに沈んでます。

とにかく、ここの犬たちは、とても人間くさい。 食べ物も、人間と同じものだし(残り物だけど)、 言葉もこころも、すっかり通じてる。

それにしても、5匹もの犬をあたりまえのように飼えるというのは、 なんという余裕でしょう。 経済的にではなくて、心が豊かなのですね。

【ネパールにさよなら】

やり残しは、いっぱいあるけど、完璧にしようとすればストレスになる。 私のモットーは、万事適当に。 そして、なるべくなら、楽しみながら。

したいことと、できないことの差に愕然としたり、暗澹となったりしながら、 少しずつの前進を信じることにします。

「あなたがいなくなったら、どうすればいいの。胸痛む」 こう言われたら、笑顔で、「また、すぐ来るよ(チタイ・アウンチュ)!」というしかない。

ここの人たちの言葉には、「さようなら」はなくて、いつだって「今度いつ来る?」 わからない予定は、立てられない。 だから、便利な返事、「チタイ・アウンチュ」 すると、お母さんになだめられた子供のようにほっとした表情になる。

時々思います。 ここの人たちは、みんな子供か? 素直で、単純で、かわいい。 長い先の予定は立てられないし、今を生きてる。 ほらね、今泣いたカラスがもう笑った!

前にも書いたけど、 スンダリさんの「ティムロ・マヤレ」の歌詞は、 別れの歌としては、いいなあと思います。

「空は澄み渡り 風も凪いだから 最後のお茶を飲んだら もう一度顔をよく見せて

君は君の舟で 僕は僕の舟で べつべつの河を下って おなじ海で会おう

すぐにきっと会えるから 旅の話でまた呑もう …」

スンダリ・ミカさんは、ネパールに住む日本人の歌手。 同じ曲をネパール語と日本語両方で歌っています。

CDの日本語の歌詞は、すべてネパール語からの翻訳だと思っていたのですが、 実は、この曲だけは、彼女のオリジナル歌詞で、 ネパール歌詞のほうが日本語からの翻訳だそうです。

「ひきとめられ、何杯も甘いお茶をよばれて、さあ、もうほんとうに 行くわ、という時の実感を込めたのよ」、とご本人が私に言いました。

ゆったり流れる河のようで、私の好きな曲のひとつです。

でも、ネパール語の歌詞では、河は出てこない。 代わりに、「村」。

「君は、君の村で泣いて、 僕は、僕の村で泣いて、 もう会うのは、むずかしいから。

風のたより聞かせて、 手紙をください、 歌を歌いながら、思い出して」

というぐあい。 悲恋にしちゃったほうが、ネパールでは受けがいいのかな。

ともあれ、別れは人生につきもの。 また、笑いながら再会できることを願っています。

日本の皆様との再会も、楽しみです。

お元気で!

よしこ

========== 追記

カトマンズの日本語学校を建物ごと、ひとつ買い取ることになりました。 出資者募集中です。 一人一口5万円です。今回は、30口募集します。 将来の優秀な人材を育てます。

同時に、ボランティア日本語講師募集中です。 宿泊設備は学校内にあり、無料提供します。 ビザ代と食事代の一部補助します。 航空運賃は自己負担。 期間 1週間〜6ヶ月。

お問いあわせ・お申し込みは、下記へどうぞ。

info@bananaclub.org

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Last-modified: 2006-11-21 (火) 00:38:28 (4039d)