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【バナナメール#121】 ダサイン祭 その3 −祈り−

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==INDEX ======================= 【谷の風になみだのせて】   【二つのヒンズー大祭】 【ダサイン祭の祈り】 【寺院参り】 【ティッカ】 【パーティ形式】 【一周忌も】 【ネパールに平和と安定を】 =============================

【谷の風になみだのせて】

今日は、祈りの話です。

「手のひらになみだ、 集めたら、 谷の風にのせて、 飛ばしましょう。

風になったなみだ、 行くさきには、 光のふるさと、 祈りの国」

これは、阿部ひろ江さんが歌う、ネパール民謡「レッサンピリリ」の日本語版の歌詞。 「光」と「祈り」は、まさに、ネパールそのものです。

日本語版は、かけことばだらけの元歌の翻訳ではなく、創作ですが、ネパールの雰囲気にあってます。曲もアレンジ してあります。 後半は、

「愛はどこに? 愛は、ここに。 胸のまんなかに、 そう、君のなかに。」

とリフレインされますが、原歌は、牧歌的です。村の娘に思いを寄せる若者をイメージすればいいかな。

「レッサン・ピリリ レッサン・ピリリ ウデラ・ジャウンキ ダーラマ・バンジャン レッサン・ピリリ…」

(意訳: 絹がひらひら。僕も飛んでいこうか、あの山を越えて。)

「光」も「祈り」も元の歌には出てこないのですが、たぶん、外国人から見た憧れのネパールイメージでしょうか。

と、前置き。このあとは、光と祈りがテーマの私のネパール・スケッチ…。

(前回予告編は、「着倒れのネパール」でしたが、それは、次回にまわします)

【二つのヒンズー大祭】

ダサイン祭が終わったばかりなのに、まもなくティハール祭が来ます。みんな祭りの準備で忙しくも、楽しそう。各 家庭では、光の祭りのための燈心を一本一本手でよって何百本と作っています。

果物、木の実、穀物、花など何十種類も決められたものが必要なので 、これらを買い揃えるのもまた大変。そして、またもや、人が集まり、祭りの食事の支度が続く…。

能率や効率が大事な人から見れば、ネパール人は、仕事もせずに宗教としきたりに縛られている、と映るでしょう。 実は、これがネパール人にとっては、大事な仕事なの。無駄といえば無駄。でも、みんなが集まることを楽しみに、 ひとつひとつ、心を込めて準備する行為そのものの繰り返しが、人生であるといえるでしょう。

で、その目的は? 私には、「愛の確かめあい」と見えます。家族のなかで互いがもっと仲良くするために、さまざ まな儀式をとりおこなう。とくに、ティハールのハイライトのひとつである、「バイティカ」は、兄弟姉妹の絆を深 める大事なもの。遠くに離れているきょうだいたちは、何があっても集まろうとします。

一年で一番いいこの季節に、ダサインは10日間、ティハールは6日間続きます。二つの祭の間は2 週間。ということは、1ヶ月近く、人々の関心は祭りに取られていることです。クリスマスとお正月、つづけて楽しんでいる人がいれば 、そう、あなたの心はネパール人です。  

【ダサイン祭の祈り】

今月はじめ、ダサイン祭のクライマックスまで10 日間のあいだ、それぞれの日になにかしら特別にする伝統的なことがありました。会社や官庁が休みに入るのは、6 日目のフルパティの日あたりから。このころ、すでに町は買い物客であふれ、道路の混雑もすごい。

7日目は、動物が生贄にされるマハ・アスタミの日です。すでに数日まえから、購入された山羊たちが近所で鳴きまく っています。それを聞いてうちの犬のリナは怖くてしようがない。しっぽを巻いて家の中に何とか入り込もうとしま す。

【寺院参り】

朝早く、私は寺院へ。この日は、とくにデビ女神にお参りする日らしいです。明け方4 時起きで、有名な遠くのダクシンガリ寺院まで出かける人もいましたが、私は、ご近所のふだんのお寺という感じところへ、8 時ごろ、案内してもらって行きました。すがすがしい気持ちになりました。

お寺は、裏がバグマティ河に面していて、石段になっています。そこに降り立って、ネパールの人といっしょに、木 の葉の容器に入れた燈心に火をつけて精霊流しのように水に放ちました。

いままでは汚い河という印象しかなかったので、しげしげ眺めたことはなく、岸辺に降り下り立つのもはじめてです が、この角度から見る河はなかなか情緒があってきれいでした。向かいが森だからでしょうか。

境内には、鐘や石像が並んでいます。神様たちに順番に礼拝。みんながたえまなく礼拝していくので、神様たちには 花や赤いお米の粉が塗りたくられています。ガネシ象神の鼻のあたまの赤い粉をこすり取っておでこにチョンとつけ てもらいました。祝福のティカのおすそ分けですね。

お寺の一角につながれた一頭の羊を男たちが取り囲んでいます。そばには、長いナイフ。急いで目をそらしました。 よかった、見ないで。一緒にいた2歳の子供が見たがって駆けて戻ろうとしたので、あわてて引き止めました。

【赤い衣装の祈りと生贄】

翌日も、やはり同じお寺に朝参りしました。今度はマハ・ナワミという日で、とても込み合っていました。女性たち が赤い衣装を着て供物をささげ持って参拝の列を作っています。髪には、花や麦の新芽を飾って。

ダサイン第一日目には、各家庭で麦を壷の中に蒔くのがしきたり。新芽が伸びたら飾るのです。生命力をいただくの ですね。女性は、晴れ着を着て、黒髪に麦の新芽をつけます。

家に戻ると、ニワトリの生贄が待っていました。この日は、ネワール族の家庭で車やオートバイの祝福をするタレー ジュという日でもあります。これは、切ないけれど参加せざるを得ない。

私の泊まった家には、オートバイが二台ありました。したがって、オンドリ二羽が犠牲になります。準備ができるま で、私は、オンドリ一羽を胸に抱えて持たされる役。オートバイには、お母さんが花やいろいろのものをふりかけた り、お線香を焚く儀式をし、最後にニワトリの血をかけるのです。

ニワトリは観念したのか、とてもおとなしく抱かれていました。鳥の体がこんなに熱いとは知りませんでした。ああ 、生きているんだなあ、と実感しました。そして、ほのかに立ち上るニワトリの匂い。日向くさくて、なんだか懐か しい。さんざん遊びまわったあとのほこりにまみれた子供のにおいみたいです。

ずっと抱いていたかったのですが、とうとうニワトリを渡すときが来ました。家長のお父さんに引き取られ、その馴 れた手が喉を切りにかかり…最後のところは目をそらしましたが、気がつくとお父さんは、オートバイの周りを歩き 回って、ニワトリの首から垂れる血をあちこちにかけているところでした。

小さな子供たちも見守るなか、みんな神妙に儀式に参加します。オートバイの乗り手の1 人である長男に、「いつかあなたも家長としてこれをしなくてはならないときが来るの?」と聞くと、心やさしい彼は、ほんとにつらそうに「ぼ くはやりたくない」といいました。彼はナイフを研がされていましたが、最後のところで、やはり目をそらせている のを目撃しました。

この日、ぴかぴかに磨かれ、美しく花で飾られ、血で祝福された車やオートバイが町にあふれます。それにしても、 悩ましい交通安全祈念。家内安全祈念。どちらにしても、ニワトリは、宴会の席に出されるのですが。

【ティッカ】

色のついたお米の粉を額につけてもらって祝福するのが、ティッカ。いろいろな機会に行いますが、ダサインの最後 の方の、ヴィジャヤダサミの日は、年長者からもらう、とても大事なティッカの日。各家庭では、家長からもらい、 また、親戚まわりをして、そこの家長からもらいます。みんなティッカにティッカを重ね、しまいに額の全面積が、 まっかかになります。

国王が施すティッカの始まりを知らせる空砲が鳴ります。それを聞いてから、各家庭でもティッカを始めます。長男 から順番に赤いしるしを額に受け、次いで縁起物のお菓子のかけら、果物、お金、麦の新芽などを手のひらに受け取 ります。

その後は親戚まわり。私も、家族と一緒に、おばあさまの家などを回りました。

【パーティ形式】

うちの大家さんからは、招待カードが来ていましたので、行ってきました。こちらは、招待客を一度に集め、ホテル のケータリングで、豪華ビュッフェ・ガーデンパーティ。客たちはご主人にご挨拶し、室内で順番にティッカをつけ てもらいます。

「こうでもしないと、ダサインのあいだじゅう毎日人が来るからね」と、会社会長の大家さんは、私に言いました。 一日ですべてを済ませる合理精神とみました。彼は、元英国大使。お嫁さんの1人は、ヨーロッパの人です。

【一周忌も】

ダサインのあいだに、モハン元少佐の一周忌の集まりもありました。未亡人となったクリシュナの全力を挙げての供 養です。アメリカ留学中の娘も、イギリス在住の甥も妹の代理として出席しました。

礼拝(プジャ)は朝からずっと続いていましたが、ほとんどの方はランチブッフェにちょっと顔をだすだけ。私は、 早めに行って一緒にお参りさせていただき、夕方までいました。

関係者すべてに招待状を出し、今は貸家にしている自宅の敷地を一時借りてのガーデンパーティ。庭の一角に建てら れたモハンの銅像の除幕式もおこなわれました。

マオイストに突然山荘の自宅を襲撃される、という思いがけない悲劇から一年。喪が明けるまでは、新しいことは考 えられないと、クリシュナはひたすらがんばってきた。

「まるで、夢みたい。今でも信じられない。でも、前向きに生きていかなくては、」といいながら、クリシュナは、 笑い顔さえ見せ、法事の客に対してやさしい気配りでみごとにホステス役を務めていました。

がんばり屋の母に対して、息子は、まだふさぎこんでいます。伝統に従って剃髪し、素肌に白い布をまとっていたの で、余計に痛々しく見えました。娘は、礼拝の間、一時すすり泣いていましたが、その後は、元気でした。

銅像になってしまったモハンは、生前の彼にちっとも似ていない。クリシュナも、それはよく分かっている。「じっ と見てると、そのうち似てくるわ、きっと」子供たちに言い聞かせるようにつぶやいていました。

私の知っているモハンの知人、友人は、誰1 人来なかった。モハンを私に紹介した人も、モハンにお世話になった人も。亡くなり方がひどかったから? ダサイン祭の最中だから? 家族の中での行事に忙しいのでしょう。

喪明けも近づいた時、彼女の家から近いハイヤットホテルへ、気晴らしにアフタヌーンティーでもどう、と誘いだし たことがある。そのとき、「こんなことしてくれたの、あなただけよ」と彼女は言ったので、私はびっくりした。誰 も近づかないのか? 

いくつかの偶然の重なりで、私はネパールにいる。不幸な偶然でモハンは、別の世界へ行ってしまった。もしかして 、私にモハンの意思が働いているのだろうか。クリシュナをお願い、と。

【ネパールに平和と安定を】

ネパール全土には、マオイストとの抗争による犠牲者がすでに何千人もいます。警察官などが多数犠牲者になりまし たが、残された家族には、じゅうぶんな保証もありません。今年のダサインのあいだ、マオイストは戦いをしないと 宣言しましたが、やはりいくつかの抗争が起き、あらたな犠牲者が出ました。この、祈りの国で。この光の国で。

問題の解決は、ネパールのリーダーたちが、しっかりすること、そして、公平な政治をすることに尽きると思います 。中央と地方山村の経済格差をここまでひどくしてしまったのは、ネパールに問題があるとはいえ、先進国は不公平 さを助長するような援助をしてこなかったでしょうか。

いま、マオイストをテロリストと定義づけ、それを一掃するために、先進国から軍事費の援助を受けるのは、ネパー ルを危険な方向へ向かわせるでしょう。ましてや、ネパール軍をイラクに派遣? 冗談でしょう、と言いたくなりま す。愛と平和の輸出国として、ネパールには、静かにがんばってもらいたいと思います。

長くなりました。

最後までお読みいただいてありがとうございます。

よしこ


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Last-modified: 2006-11-21 (火) 00:38:24 (3990d)