ネパールの詩集

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ネパールの詩人ビシュマ・ウプレティの詩集「海」の翻訳版ができました。ネパール語と日本語の対訳。

異国の海から思いをはせるヒマラヤの山々。みずみずしい感性。美しい言葉。ネパール王立アカデミー・ポエトリーフェスティバル授賞詩人です。


翻訳 樋口容視子

出版社C.R.M.
2005年5月9日発行
ISBN: 99933-891-5-3
A5版72ページ
一冊800 円


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ビシュマ・ウプレティ 略歴


1968年、ネパール東部ジャパ生まれ。1985年から首都カトマンズで教育を受ける。トリブバン国立大学より1996年に経済学修士、さらに、1998年ネパール文学修士を受ける。1999年より一年間、経済学の勉学のため英国大学院に修士留学。

詩作は早くから始めていたが、注目されるようになったのは、詩集「アカース・カショバネ・ケフンチャ?」(空が落ちたら)の出版後。1992年ネパール王立アカデミー主催全国ポエトリー・フェスティバルで第一位受賞。1999年、旅行記文学でウッタム・シャンティ賞受賞。

カトマンズ在住。勤務先、ネパール国立銀行。

主な作品

● 詩集 

1996年「アカース・カショバネ・ケフンチャ?」(空が落ちたら)
2001年「サムドゥラ・ラ・アンニ・カビタハル」(海・その他の詩)
2003年 「アクシャールバルサ」(文字の雨降り)
2005年 「ヘルダイガルダ」(歩きながら)

● 旅行記

1990「ヤートラカ・ケヒ・トゥンガ・プル」(旅行抄録)
1998「ニーロ・パニ・ラ・ニラ・バワナハル」
(青い水・青い気持ち)

● エッセイ集(共著)

「サンベダナカ・スワルハル」


作品 抜粋


くる日もくる日も

くる日もくる日も、雲を眺めていた。
なつかしい
何かを探して。

だが、いくら眺めても、
やっぱりここは、違う雲。
ネパールでは、
雲の中に花が咲き、
絵があった。
ここにあるのは、文字ばかり。
愛のことばではなく、
不可解なことばが
異国の文字でつづられる。

くる日もくる日も、雲を眺めていた。


海 その8 

海に会いにいくため
急ぐわたしを
海が呼び止めて言った。
「こころの中には海がある。
あなたにも見えますか?」

自分のこころをのぞいてみたら、
やっぱり海があった。
そのときはじめて気がついた。
人のこころには海がある。
深い悲しみと痛みに満ちた
辛い涙の海が。

だからもう、
わたしは、海に会いにいかない。


海 その12

悲しみにむち打たれ、
傷を見せながら、
ヒマラヤは泣いていた、
わたしが別れを告げたとき。

見果てぬ夢であっても、
見続けたいか。
貧しい人のように、
山は汗を流しつづけた。
わたしが別れを告げたとき。

いまここに、
海の岸辺に立つわたしのもとに
果てしない彼方から
押し寄せる、痛みと涙が、
大きな山となる。

なんということだ。
何処へ行こうとも
わたしのこころから離れない
この二つのもの、
涙と痛み。


詩人 ビシュマ・ウプレティ のメッセージ (序文より抜粋)


人々は、あらゆる問題にさいなまれて生きている。そんな中で詩は何の役に立つだろう?いつもこのような問いに襲われながらも、私は詩には力があると信じている。この確信にもとづいて、私は詩を書きつづける。

私の書く詩は、さまざまな次元にいる人々に会い、自分の中に取り込み、それについて書くという努力の結果である。ペンと詩の力を信じる限り、私は詩を書き続け。

ネパール現代詩の潮流は、不調和と反抗と不満の声に満ちたものだ。しかし、人間の生活そのものは、もっとひどい。たとえおぼろでも、夢が必要なのである。無為のただなかにいても、希望はある。人は旅をするときも、やはり幾度もの休息が必要だ。

この意味で、私は、書くことによって人々に出会いたいと思った。すぐ近くには、素朴な別の人生があり、人々の心はやさしく、陶器のランプに希望の火がほのかにゆれていることなどを。

ここに集めた詩は、私が英国滞在中に書いたものである。ネパールでなら、また違った印象のものを詩作しただろう。海外に住んでいたとき、私は、ネパールとは異なる雰囲気と環境、そして問題の中にいた。したがって、これらの詩には、当時の気持ちが反映されている。私は、自分の心に素直になって、その印象を表現してみたかった。


「訳者あとがき」より抜粋


世の中は、不思議な出会いで成り立っていると思う、詩人ビシュマとの出会いは偶然だったけれど、あとから振り返ってみると、そうではないような気がしてきた。すべては、用意されていたのではないか。この神々の国で。

2002年の春。そのころ、私はネパール語の勉強の帰りによくパタンの町を歩いていた。ふと立ち寄った小さな本屋で、薄い詩集を買った。海の写真が表紙にあって、裏には、詩人の経歴と写真が載っていた。もっとネパール語が上手になったら、そのうち読んでみよう、としまっておいた。そして、そのまま忘れていた。

半年後、机の引き出しに詩集を発見した。ちょうど、ネパールの友人の誕生プレゼントに何か気のきいたものを、と思っていたところだったので、その詩集を贈った。とても喜ばれた。「いい詩だ」と。

では、私も読んでみようか、とそのとき思ったのだ。同じ本屋に買いに行ったら、一冊だけ残っていた。

私のネパール語は前よりも少し上達していたが、ネパール語のクリシュナ先生の手助けなしには、すべての詩を読み通すことは出来なかっただろう。また、詩の好きな若い女子学生のアンジュと一緒に、よく声に出して読んだり、暗誦したりした。そのうち、一篇づつ日本語に訳してみた。うまくいくのもあったし、なかなか日本語のリズムに乗らないものもあった。でも、もともと詩の翻訳は大好きなのだ。イギリスやアメリカの詩を訳していたときの感覚が戻ってきた。

いつかこの詩人にあいたいなあ、と漠然と思っていた。そうしたら、知り合いのネパール人の一人が、「夫のともだちよ」とこともなげに言った。ネパール社会は知り合い同士がつながっている。

ビシュマの家族は、カトマンズにいたが、彼自身は、東部のビラトナガルに単身赴任していた。カトマンズに戻ってきたら、連絡があるとのことだった。しばらくして詩人本人から私のところに電話があった。とても落ち着いた静かな声の持ち主だった。翌日、さっそく会うことになった。

(中略)

 ビシュマは、私がすでにいくつか翻訳しているなら、出版に協力してほしいと言った。日本の読者に自分の詩が読まれるのは、望外であると。「でもね、日本では詩は売れないの」と私が言うと、ビシュマは、「ネパールではもっと売れないよ」と笑った。

さらに、驚いたことに出版費用は自分で出す、とビシュマは言ったのだ。ネパール王立アカデミー主催の全国ポエトリー・フェスティバルで一位を獲得した詩人が、である!  そのとき、私は、何とか私が翻訳と出版をやり遂げよう、とひそかに決心したのだった。日本の読者に読んでもらうのに、ネパールの詩人に費用を負担させるわけにはいかない。

ビシュマが、私のネパール語の力量を微塵も疑わないのにも、不思議な気がした。言葉を大事にする詩人が、そんなに簡単に人を信頼していいのだろうか。だが、もっと不思議なのは、ネパール語を勉強して日が浅いのに、この翻訳はきっとうまくできる、と私自身にも思えることだった。一体、この気持ちは何処から来るのか。

今になって、なんとなく分かる。私は、人に信頼されたときにもっとも自分の力が発揮できる人間のようだ。ネパールで私がとてもゆったりとした幸せな気持ちでいられるのは、信頼してくれる人が実に大勢いるからではないか。ほんとに、さまざまな人々が、根拠もないのに、私を信頼しつづけてくれている! なんでもない言葉のはしはしに、無防備で人のよいネパール人の人柄が見える。

ネパールに来てから、思いもかけないことが次々に起こる。そういう時、私は、抵抗しないことを学んだ。流れに任せる。うまく行くことも、うまく行かないことも、すべて、意味のあることなのだ。ビシュマと私は、作品を通じて出会った。それは、偶然であり、必然なのだ。誰かが、私たちに力を与えてくれて、私は、その指示通りに動いているに過ぎないのかもしれない。もしかしたら、私は、ビシュマの詩を翻訳するために、ネパール語を勉強しはじめたのかもしれない。

私も自分の力量を疑わないことにした。私は、ビシュマのネパール語の詩を理解できるのだ。そう思い込むことにした。日本語に直す作業の時は、天の助けがあるに違いない。

翻訳を終えてみて、やはり不思議なことに、知らないうちに日本語が出来ていたみたいだ。ネパール語はむずかしかったのに、翻訳はとても楽しかった。実際には、とても時間がかかったはずなのに、終わったらあっという間だった。

ビシュマの詩には、私の好きな詩人たちと共通するものがある。この詩集には、彼の英国留学時代に作った詩が集めてある。ネパール語の詩でありながら、英国の空気が濃く張りついていて、しかも、故郷のヒマラヤの景色がいつも詩の中の息吹として感じられる。それは、英国詩人が、ロンドンで西の田舎の故郷を切なく思う気持ちと似てはしないか。あるいは、夏目漱石が味わった孤独な異国体験であるかもしれない。それは、異国体験をしたすべての人に共通する心の変化であり、普遍性がある。しかも、この感性は、ビシュマ自身のものであり、きわめてネパール的でもある。このような固有性と、普遍性を兼ね備えたビシュマの詩は、おそらく日本人の心にも響くのではないか。

日本の方々には、みずみずしい感性を持った表現力のある詩人がネパールにいることをぜひ知ってもらいたい。また、異文化体験を持つ方は、それぞれの気持ちと重ねあわせてみてほしい。

「海」というものが象徴する広がりに、わたしは、改めて、詩人の感性を見ている。この詩集では、「海」はたえず「山」と対比させられ、憧れと懐かしさとのあいだで詩人の心は揺れ動く。異国の魅力と、故郷への愛情が、時にはどうしようもなく詩人の心を引き裂く。それでも、なお、異質なもの同士をむすびつけ、橋渡しをしようとする楽観的な思いも去来する。

 異文化コミュニケーションという分野を研究に選んだ私にとっては、異文化のはざまに落ち込んだ人々の苦しみや、希望をあらわした作品という意味合いでも、興味がある。それは、ビシュマであると同時に、私自身であり、また世界中の人々と共有できるものだと思う。

(後略)


























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Last-modified: 2008-01-09 (水) 19:21:05 (3570d)